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自生地を守るということ

センブリ

センブリ

昨年の10月の末のことです。

シキザクラが咲いたというので、シキザクラとともに低地の山野草も写すことが出来るのではないかとの期待を持って、県立公園になっているところに出かけました。

平日の上に、シキザクラもまばらだったためかあまりたくさんの人と出会うことはありませんでしたが、まばらなシキザクラを写したりしながら、広い公園の中を散策していました。

今はなかなか見ることの出来なくなってしまったセンブリが咲いているのを知っていたのでそれを写すことも、目的の一つでした。

センブリは目立たない花です。

私が探しているところに大きな声が聞こえてきました。

5、6人の女性のグループがいるのは見ていましたが、その方たちの声でした。

「トウヤク(センブリのこと)が咲いているよ。」という声とともにその1面に咲いていたセンブリを我先にとその方たちが抜いてしまいました。

私はびっくりして近寄っていきましたが、近辺のセンブリはすべて抜かれていました。

私が近づいていったので、その中の一人が「これトウヤクだよね。」と誇らしげに言う。

私はあっけにとられて言う言葉も失ってしまいました。

何を言ったか忘れてしまったが、返ってきた言葉は「採ってはだめなの。」というような言葉だったと思います。

「センブリは2年草なので、採り尽してしまったら、この山になくなってしまって寂しいのですよね。」と言うと「もう採ってしまったから仕方がないよね。来年は出ないよね。」という反省の言葉でした。

立公園になっている場所でさえ、こんな感じです。

ましてや整備もされていない、野山の花だったらどうなのでしょう。

考えただけでも低山の花を守ることの難しさを思い知らされました。

これでは絶滅危惧種が増えていくのが当たり前です。

こういうことを日本の行政はどう考えているのだろうかと思いました。

第一に野山の花を守ろうという意識がほとんどの人にないのです。

これを何とかしなかったら、手厚く守っているところ以外の花が絶滅するのは時間の問題のような気がします。

その日は悲しい思いで管理事務所に寄ってきたが、管理事務所は休館日でした。

帰ってから行政の担当の方に電話はしたが、その後どうなっているだろうかと思っています。

センブリは整備している県立公園だから咲いているので、手入れをしていない山には、陽が当たらなくなっているので見られなくなっています。

何年か前も里山だが登山道のある山に行ったことがあり、花を採っている人を遠くから見つけたことがあり、そのときもそこを管理している行政の担当者に電話をしたことがありました。

花を取らないでくださいという立て札も見当たらなかったので、せめてそのくらいのことはしてほしいとお願いしました。

そこはその後行った時に、子供たちの書いた「自然を大切に」という立て札を見て嬉しく思いました。

上のほうで自然保護とか、絶滅危惧種の調査をするだけでは、山野草は守れません。

もっと地道に、地域の方々に浸透させなければならないことだとつくづく思いいました。

2007.02.15 記

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山野草栽培の基本と注意点

上の栽培法は、関東地方の狭い住宅地で夜間もエアコンの熱風が出ているような場所で栽培している、わが家を基準にしています。

高山植物や、山野草を育てるにはかなり過酷な場所で、工夫しながら育てています。

猛暑日が増えてきてからは厳しくなった面もありますが、植物が私たちの愛情にこたえてくれるように慣れてきているものも多くなっています。

鉢植えの場合、すべてに書くことが出来ませんでしたが、鉢底には軽石などのゴロ石を入れて水はけを良くしていますし、植物によっては溶岩の砕いたものを入れています。

鉢は山野草鉢のように水はけのよいものを用いています。

病気になりやすいものもあるので、用土は新しいものを使い、微塵を抜いて、湿らせてから使った方が良いとは思っています。

高山植物、それに準ずるものは毎年植え替えています。

私は宮城県の住宅地でも高山植物を育てたことがありますが、それほど気を遣わなくても、此処では育たないものも殖えすぎるくらいに育っていましたので、もっと楽に育てられるところの方が多いと思っています。

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